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音楽センス競争問題に関連して

http://d.hatena.ne.jp/kasuho/20050624/p1

以下完全に私見だが、美術においては「美術館に行く」という行為が非常に重要視されるが、それよりも上の段階として「作品自体を所有する」という行為が設定されている。あくまでも可能性であって、現実的にはコストが高過ぎるわけだが。一方、音楽においては「ライブ/クラブに行く」という行為よりも高次のものが設定し得ない。つまり美術で言う「モノ」が存在しないわけだ。だとすれば、「所有」という観点で言えば、音楽は「録音されたメディア」しか選択肢が無いが、美術は「印刷されたメディア」か「本物」の二択なのである。

従って、美術において「メディア」は「(可能性として所有可能な)本物」に対して相対的に価値が低められるが、音楽では「メディア」しか存在しない為に、それはある種絶対的な価値を持つことが可能になるのではないだろうか。だからこそ、音楽ではメディアとライブ/クラブの二本立てで評価することができるのだ。

かなりおもしろい発想だとは思うんですが,やっぱ僕も,音楽においてライヴとCDの価値が相対化されてることと,音楽は「本物」を所有し得ないこと,とは特に関係ないと思います.

(1)クラシックで,オーケストラのコンサートを二本のコンデンサマイクで収録してCDにする,とかだと,やっぱりマニアの人は「原音収録」「原音再生」を追求するわけで,それは要するに「できるだけ”本物”に近づけたい」という欲望なわけで,録音物は”本物”に対する代替物としての域を出ることができないのではないか.
 
(2)それに対してポピュラー音楽とかだと,録音物はむしろ映画の製作過程に近い.”現場”で行われていることはそれをそのまま見ても全然作品になってなくて,編集を施して初めて”本物”の作品になる.この場合はライブと録音は全く別のものであってどちらにも独自の価値がある.

音楽における録音物は(1)と(2)の二種類がありますから(二者の中間的なものもありますが),それがライブとCDの価値が相対的になることの主たる理由だと思いますね.

で,それとはあまり関係なく,なぜ音楽センス競争が起こるか問題は,「イージーだから説」がでかいかなーと思います.「音楽は精神的に所有できる」というのがさらにイージーさを高めるのではないか.音楽の場合1000アーティストくらい「精神的に」所有できそうですが,他だとなかなかそうはいかないのではないでしょうか.絵とかじゃ絶対無理ですし.文学とかでも厳しそう.