過労死・過労自殺の心理と職場 / 大野正和 (青弓社ライブラリー27)
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読みやすく面白い本の揃っている青弓社ライブラリーから去年出ていたもの.

多くの人が長時間労働をしていても,どうして過労死・過労自殺にいたる人とそうでない人がいるのか,という点に着目して考察がなされる.

確かに,労災を認定する際には,客観的な指標として「時間」は絶対的で使いやすいし,過労死が起こる際には必ず長時間労働が起こっているのだから,長時間労働は過労の必要条件ではある.が十分条件ではない.

本書ではその前提と実際の過労の事例の分析から,まじめで責任感が強く他者に気を遣う「メランコリー親和型性格」の人が,まわりの人からの信頼を受けて非常に重い責任を感じ,一人で大量の仕事を背負って孤独に超長時間労働に陥る時にこそ過労死・過労自殺が生じている,と指摘する.

この構造には日本型の「曖昧な職務分掌」が深く関係していて,「自分の職務」が不明確であるがゆえにまじめで責任感が強い人ほど大量の仕事を背負っていくことになるという循環が見られる.

この構造が過労の全てではないとは思いますが,実際の過労死・過労自殺事件の構造でこのようになっているものは非常に多いと思います.このことは,なんとなくはどの論者も感じているようではありますが,本1冊かけて詳細に論じてあり参考になると思いました.


また,ここからは本の内容とはあまり関係なく自分が思ったことですが,「問題の少ない長時間労働」というのは確かに存在すると思います.時間で全てを区切って「長時間労働イコール問題」という姿勢だと大批判を食らうと思う.

職人であったり,労基法にもある「企画」や「映画制作」などは労働時間をとやかく言うことこそ問題である場合も多いと思う.

ただし,この論理が大きく拡大されて,「あなたがたの自由な裁量にまかせて自由に仕事をしてください.だから『過労』なんて無縁のすてきな働き方ができますよー!」というのは危険を孕んでいると思う.本書でも,「労働者の決定の自由度」には関係なく過労死は発生している,という研究結果が取り上げられている.外形として自由裁量であっても,職場の構造に組み込まれる中で追い込まれるようにして働いてしまう場合がある,ということが問題.

このことは,渋谷望も「アレントの悪用」という,誤解を招きかねない過激な言い方で述べていて,「これは労働や仕事でなく活動なんだ!だからがんばれるでしょー!」と言われ,実際がんばってしまうんですが,その構造の中で追い込まれる人が出てしまうという話ですね.

日本型の柔軟な職務システムの全てが悪い,と言い切ってしまうことはできないのですが,考え直さなければならないことは多いと思います.日本において成果主義を導入することも同様に,慎重に見極めることが必要.成果主義については最近は一般の雑誌にも疑問視するような声が出ていたりするようで,今後要チェックです.